説明

☆もくりんくんニュースより☆

ぶつだんのもりでは 夏と冬に もくりんくんニュースという情報誌を発行させていただいています。

もくりんくんニュースでは ぶつだんのもりが行っている供養祭などの行事やイベント 人気商品のご案内や安心サポート内容が掲載されております。

 

その中にある 知って得する もくりんくんのなるほど講座を 少しご紹介させていただきます。

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写真では文字が見にくいですが 無財の七施について説明しています。

 

無財の七施とは・・・財産がなくても、誰もがいつでもできる布施(慈悲の心を持って他人に財物を施すこと)の行のことです。

①顔施・・・優しい笑顔をもって他人と接すること

②眼施・・・優しいまなざしをもって他人と接すること

③身施・・・自らの体を使って奉仕すること

④心施・・・形だけでなく自らの真心を示すこと

⑤房舎施・・・宿泊や休憩の場を気持ちよく提供すること

⑥床座施・・・座る席を気持ちよく譲ること

⑦愛語施・・・思いやりのこもった言葉をもって他人と接すること

 

1日に7つ出来たら理想ですが 1つ行いを心がけると 気持ちのいい1日になりますね(^^)

☆庵治石の原石展示中です☆

昨日は 寒い中 新春初売りセールにお越しいただきまして 誠にありがとうございます。

本日も たくさんの方にお会いできますことを 心より お待ち申しております。

 

ぶつだんのもり 各店にて 庵治石の原石を展示しております。

ご来店頂いた時には ぜひ 一目ご覧になってくださいませ。

 

庵治石の優れた機能について少しご説明させていただきます。

庵治石.JPG

◇細工・彫刻の細やかさ

細工や彫刻の細やかさは、石の持つ硬度により左右されます。柔らかすぎる場合、細やかな細工を施すと風化や崩れが進みやすく硬すぎると細工そのものができません。庵治石の硬度はモース硬度の7に相当し、これは水晶と同じです。少々硬く、加工には熟練された技術が必要となりますが、繊細な細工や加工が施せ長く形が崩れません。

 

◇風化や変色に強い

第二に、庵治石の持つ吸水性の低さが挙げられます。通常、石の風化や変質は水が原因によるものです。庵治石は結晶が他の石と比べて細かいため結晶の膨張・縮小率が小さく、あまり水が浸透しません。また、庵治石は化学変化に強く酸性雨にも強いため、彫られた字が崩れたり、赤茶色に変色したり、艶がなくなりにくいといわれています。

☆真言宗について☆ ~十住心論~

曇っているからでしょうか?

日がおちるのが早くなったような気になります。

 

本日は 十住心論 についてご説明いたします。

 

●十住心論

『十住心論』とは、正式には『秘密曼荼羅十住心論』という全十巻に及ぶ大著で、天長7年(830)、淳和天皇が、宗派の立場を著した書の提出を各宗派に命じられたとき、弘法大師が書かれたものです。

「十住心」とは、人間の心の段階(住心)を十に分類したもので、動物的本能のみの心から、道徳的な善心が起こり、宗教的心が開け、第十で無限の展開をもった最高の心の段階へ至るという、人間精神の発達段階が明らかにされています。

そして、それぞれの心の段階に対応する、あらゆる思想・哲学・宗教が比較・検討され、仏教も、初期仏教・小乗仏教・大乗仏教の順に位置づけられ、真言密教こそ、さまざまな修行を積み重ねて、菩提心が見事に開いた心の最高の段階であり、最も普遍的な立場であると、弘法大師は説かれています。

しかし、十住心という段階づけは、決して他の宗教が劣っているということではなく、真実の仏・大日如来の立場から見れば、すべてその教えの中に包まれているということです。

それまでの仏教は、この世に出られた釈尊の間接的な教えである顕教であるのに対し、真実の仏・大日如来の直接の教えである密教では、真理にじかに触れ、真理の文字を表した「真言」を唱えることによって、この身のままで悟りを開き、仏になれるのだと、弘法大師は教えられています。これを即身成仏といいます。

そこに至る、人の心の道筋が、『十住心論』で説かれているのです。

☆真言宗について☆ ~弘法大師ものがたり④~

本日も すごい 雨と風です。

そんなお天気の中 お足もとが悪いのにもかかわらず

皆様 ぶつだんのもりにご来店して頂きまして 誠にありがとうございます。

 

 

本日は 最澄・嵯峨天皇との親交と高野山の開創 についてご説明いたします。

 

●最澄・嵯峨天皇との親交と高野山の開創

大同元年(806)10月に帰国された弘法大師は、中国から持ち帰られた経典や品々を目録にして朝廷に献上され、大同4年(809)、京の高雄山寺(神護寺)に移り住まれました。

この頃、ともに入唐した伝教大師最澄との交友が深まり、最澄は種々の密教典籍を弘法大師から借り、弘仁3年(812)には、弘法大師から灌頂(密教の奥義を極めた人に行われる儀式)を受けられました。

また、弘法大師・橘逸勢と並んで三筆と称される嵯峨天皇とも、書や詩人を通して深い親交をもたれ、天皇の庇護のもとに真言宗が発展することになります。

弘仁7年(816)、弘法大師は天皇に上奏して、高野山を賜りました。ここに、真言宗の根本道場、高野山の開創が始まったのです。弘法大師四十三歳のときでした。

伽藍の配置は、弘法大師独自の密教理論に基づくものですが、高野山は、京から遠く離れた高い峰の地であり、建立は容易ではありません。多くの人々の協力によって次第に諸堂が建立され、ここを、金剛峯寺と名付け、自らの入定の地と定められました。

弘仁14年(823)、弘法大師は、京に建立されつつあった東寺を、天皇より賜りました。これを鎮護国家のための根本道場とし、国の平安と民衆の幸福を祈願されました。

弘法大師は、真言宗を開かれただけでなく、社会的な活動にも大きな功績をあげられました。弘仁12年(821)、四国の万濃地を完成されたことは、とくに有名です。また、天長5年(828)には、わが国初の庶民学校『綜芸種智院』を設立されました。

☆真言宗について☆ ~弘法大師ものがたり③~

台風の影響でしょうか? すごい雨と風です(>_<)

皆様 どうぞ お気をつけくださいませ。

 

本日は 弘法大師 入唐と恵果阿闍梨との出会い についてご説明いたします。

 

●入唐、そして恵果阿闍梨との出会い

広く仏教の研究を進められていた弘法大師は、大和の久米寺で『大日経』という真言密教の根本経典を発見し、これこそ真実の教えであると、大いに感激されました。

しかし、密教の教えは十分に伝わっていなかったので、弘法大師は中国(唐の時代)に渡って教えを学ぶことを願われました。

延歴23年(804)、弘法大師三十一歳のとき、ついに遣唐使の留学生として、入唐することを許されたのです。

5月に浪速を出、長く危険な旅を経て、その年の暮れに都・長安に入られた弘法大師は、翌年の6月頃、青龍寺の恵果阿闍梨と出会われました。

恵果阿闍梨は、密教の正系を受け継ぐ当代きっての高僧ですが、弘法大師の才智を非常に喜ばれ、密教の奥魏のすべてを弘法大師に伝えられたのでした。そして、日本に真言密教の教えを伝えよと、インド伝来の経典、仏画、仏像、法具などの一切を与えましたが、弘法大師との出会いからわずか半年後に、亡くなられました。

☆真言宗について☆ ~弘法大師ものがたり②~

明日は 雨でしょうか。

そんな雲がでているような気がします。

 

本日は 弘法大師 仏道修行へ をご説明いたします。

 

●栄達の道を捨て、仏道修行へ

弘法大師は、大学での学問より、人生の根本を問う仏教に深い関心を寄せられるようになり、ついに、周囲の反対を押し切って、在家のまま四国の山岳を巡り歩く修行の旅に出られたのです。

その後、弘法大師は出家得度され、やがて空海と名乗られるようになりました。

そして、弘法大師24歳のとき、最初の書『三教指帰』を著されました。これは、儒教・道教・仏教を比較して、仏教こそ、人生の根本を解決し、一切衆生を救い得る教えであることを示されたものです。

☆真言宗について☆ ~弘法大師ものがたり①~

本日は とても 暑い日ですね。

 

真言宗の宗祖 弘法大師空海について

本日は 幼少の頃について ご説明いたします。

 

●幼少の頃から俊才のほまれ高く

弘法大師は、宝亀5年(774)6月15日、現在の香川県善通寺でお生まれになったと伝えられています。父は佐伯直田公、母は阿刀氏の娘、玉依という方で、両親とも、地方の名門の出でした。

大師は、幼少の頃から俊才のほまれ高く、15歳の時、母方の伯父、阿刀大足に伴われて、都(長岡または奈良)にのぼり、伯父から、儒学や詩文など、中国の学問を広く学ばれました。

延歴10年(791)、大師は18歳で大学に進まれ、さらに勉学を重ね、将来は中央の官吏か学者となって名声を得るものと、大いに期待されていました。

☆真言宗について☆ ~真言宗の歴史~

本日は 十五夜ですね。

きれいに お月さまが 見えるといいですね(^^) 

 

本日は 真言宗の歴史について ご説明いたします。

 

弘法大師御入定後、門弟がたが大師の教えを受け継いで護持し、真言宗の教団も大きく発展していきます。

平安時代では、宇多法皇が仁和寺を創建され、聖宝が醍醐寺を創建しました。

また、淳和天皇の皇子恒寂法親王が開かれた大覚寺は、鎌倉時代に後宇多法皇が入住されて、大いに発展しました。覚鑁は、高野山に新たに大伝法院を建立、さらに根来寺を建立しました。

鎌倉・室町時代になると、叡尊が西大寺を中興し、俊芿は泉涌寺を再興し、大いに栄えました。

また、真言宗の寺院が関東にも建立され、教団はさらに発展したのです。

豊臣秀吉の天下統一にあたり、根来寺は秀吉に焼き滅されてしまいましたが、根来寺の二人の高僧、玄宥と専誉はそれぞれ学徒とともに逃れ、これが、智積院の真言宗智山派と長谷寺の真言宗豊山派のはじめとなるのです。

江戸時代には、それぞれの本山と一般寺院、寺と檀家の関係が確立し、宗学も大いに発展しました。

現在、真言宗総本山会に加盟している総大本山は、十八あります。

☆真言宗について☆ ~お遍路さんの元祖~

だんだんと お月さまが まんまる になっているようです。

 

本日は 数多い大師にかかわる民話の中から、お遍路さんの元祖のお話を、ご紹介いたします。

 

むかしむかし、四国のうちでも、伊予の国は浮穴の郡荏原の郷に、右衛門三郎という人が住んでいました。先祖は朝廷のご門を守ったという、武士の家に生まれたのですが、三郎は、金持ちのくせに郷いちばんのけちで、信心のない欲張りのものでした。

ある日のこと、三郎の家に、ひとりの旅僧が托鉢にやってきました。

「かえれー、乞食坊主」

と、けちな三郎はどなって、旅僧を追い返してしまいました。しかし、翌日も旅僧がやってきて、また、三郎はどなりつけて、追い返しました。次の日も旅僧はやってきました。すっかり怒ってしまった三郎は、旅僧の捧げる鉢を、竹ぼうきで打ちこわし、鉢は八つにくだけて飛び散ってしまいました。

すると、どうしたことか、次の日から毎日一人ずつ、三郎の男の子が次々に死んでしまいました。これには、さすがの三郎もすっかり悲しみにしずんでしまい、その因縁を深く考え込みました。そして、あのときの旅僧は、名高い高僧の空海というお坊さんだったことに思い当りました。

それから、三郎はおのれの罪深さを悔い、空海にお目にかかってお詫びをしたいと、巡礼の旅に出たのです。しかし、四国を二十一遍もまわっても、三郎は空海にめぐりあうことができません。そして、四国一の難所といわれる焼山寺のふもとで、三郎は病に倒れてしまいました。

すると、息もたえだえの三郎の前に、一人の旅僧があらわれました。そして、

「私が空海です。あなたの罪は、四国遍路の功徳で、すべて消えました。なにか最後の願いはありませんか?」

とやさしくささやかれたのです。ようやく空海にめぐりあえた三郎は、最後の力をふりしぼって、

「どうか、わたしを本家の河野の世継に生まれ変わらせて下さい。」

といって、こと切れてしまいました。空海は、かたわらの小石に「右衛門三郎再来」としたため、三郎の手に握らせて、ねんごろに供養されました。

月日は流れて、松山の城主河野息利に男児が誕生しました。その子は、左手に小石を握って生まれてきたのです。見ると、その石には「右衛門三郎再来」と書かれてあります。

息利は、これは弘法大師のご利益にちがいないと考え、道後温泉の安養寺にこの石を納め、寺号を石手寺(第五十一番礼所)とあらためました。そして、三郎がお遍路さんの元祖とされるようになったということです。

☆真言宗について☆ ~遍路~

 

四国八十八か所霊場の全行程は、1400キロ。

その長い遍路の道のりは、「同行二人」といわれています。

すなわち、たとえ一人の旅であっても、弘法大師は常にその人と一緒に遍路しているということです。

手に持っている杖は、金剛杖といい、金剛という名が示しているように、遍路の守り本尊であり、弘法大師の分身でもあるのです。

そして、「南無大師遍照金剛」と唱えながら、遍路は弘法大師とともに、巡拝の旅を続けるのです。

 

日本各地には、数多くの巡礼の道があります。

西国・津軽・最上・会津・坂東・信濃・伊豆横道・出雲などの各三十三観音霊場、秩父三十四観音霊場、知多・小豆島・篠栗・四国などの八十八ヶ所霊場などです。

その中でも、弘法大師にゆかりの深い八十八ヶ寺を巡拝する四国八十八ヶ所霊場が最も有名で、その巡礼は遍路と呼ばれています。

第一番から二十三番までの徳島県を「発心の道場」

二十四番から三十九番までの高知県を「修行の道場」

四十番から六十五番までの愛媛県の霊場を「菩提の道場」

六十六番から八十八番までの香川県の霊場を「涅槃の道場」

といい、仏道修行の段階をたどるようになっています。

第一番から八十八番までを順にたどるのを「順打ち」、八十八番から逆にたどるのを「逆打ち」といい、逆打ちは、とくに深刻な人生の悩みを抱える人々によってなされるということです。

☆真言宗について☆ ~主な年中行事~

 

徳島県は 真言宗が 一番多い ということで

本日は 真言宗 についてご説明いたします。

 

真言宗の主な年中行事

●新年修正会

年頭に行われる法会です。

●後七日御修法

弘法大師ご入定の年、1月8日から7日間、宮中で行われた新年祈禱会で、現在は東寺で行われています。

●節分星供

立春の前日、各自の運命を支配する星に供養して、1年間の無事息災をお祈りします。

●常楽会

2月15日は、お釈迦さまが入滅された日で、そのご遺徳をしのぶ法会が行われます。

●彼岸会

春は3月18日より7日間。秋は9月20日より7日間。彼岸とは「浄土を作る」というインドの言葉で、仏教では、古くから仏心回帰を願う心の週間を設け、人々が行に励み、この世に仏の国を造ることを勧めています。

●正御影供

弘法大師ご入定の日、3月21日に大師の御尊像(御影)を前に行われる法会です。毎月21日を御影供といい、昔から「お大師様の日」として、人々は大師参りをしています。

●仏生会

お釈迦さまがお生まれになった4月8日に、そのご誕生をお祝いする行事で、お花まつりといいます。

●結縁灌頂

即身成仏という大師の教えを広く大衆に受けとっていただく法会で、高野山では、5月3日より3日間行われます。

●大師誕生会

大師ご誕生の6月15日に行われるお祝いの法会です。

●盂蘭盆会

年に一度、先祖やその他の霊を供養し、悪い因縁を除く法会で、7月15日が起源の日です。

(季節や日時に関係なく行われる法要)

●大般若法会

『大般若経』六百巻を転読して、社会の平安と家庭の幸福を祈願する法要です。

●土砂加持法会

光明真言百八返をもって清浄な土砂を加持すると、大日如来の生命である土砂の功徳力が増すといわれています。

●護摩供

事故の煩悩を焼くという密教の修行によって真実の智恵を求め、人々の息災を祈禱します。

●その他に、お十夜法会、曼荼羅供、菩薩戒会などがあります。

 

☆お彼岸について☆ ~夕陽を拝むと浄土を拝む?~

朝夕は風が冷たくなった気がいたします。

これから 着る服に 悩みそうですね。

 

本日は タイトルにも記していますが 夕陽を拝むと浄土を拝む?について ご説明いたします。

 

9月4日にも説明いたしましたが、お彼岸の中日には太陽が真東から出て真西に沈みます。

そこから、この日に夕陽を拝むということは、西方にある浄土に向かって拝むことになると言われています。

そこで中日に夕陽を拝むと特に功徳があるちお考えられているのです。

きれいな夕陽が拝めるように中日がずっと晴れるといいですね。

☆お彼岸について☆ ~ぼたもち・おはぎ~

9月に入ってあっという間に1週間が過ぎました。

だんだんと もみじも 色づいてきているようですね。

 

 

本日は ぼたもちとおはぎ についてご説明いたします。

 

●春のぼたもち・秋のおはぎ

「ぼたもち」と「おはぎ」は、お彼岸のお供えにはかかせないものです。

両方とも、蒸した餅米とあんこの同じ素材でつくられる食べ物ですが、季節の花になぞらえて、春の彼岸にお供えするのが牡丹餅で、秋にお供えする場合はお萩と言います。ですから、季節感も一緒に味わいながら牡丹餅やお萩をいただきましょう。

☆お彼岸について☆ ~お彼岸のご供養~

朝夕は涼しくなってきた気がいたします。

秋はすぐそこにきているようですね。 

 

 

本日は お彼岸のご供養 についてご説明いたします。

 

●お墓参りはお彼岸中に

お彼岸には、できるだけ家族そろってお墓参りしましょう。お墓参りに特別の作法はありません。

墓石をきれいに洗い、周囲も掃除して、花や線香を手向け、お菓子などもお供えします。

そして合掌礼拝の前に水桶からたっぷりと水をすくい、墓石の上からかけます。水をかけるのもお布施の一つです。

ご先祖様への感謝と家族の幸せを念じましょう。

 

お墓参りには次のものを用意しておくとよいでしょう。

数珠・線香・ローソク・マッチ・花・菓子・果物・半紙・水桶・柄杓・たわし・ほうき・雑巾など

 

また家庭では仏壇を掃除して、新しい花、それに牡丹餅・おはぎ、お彼岸団子などをお供えします。

☆お彼岸について☆ ~お彼岸の中日~

だんだんと お天気が回復してまいりました。

本日は お忙しい中 たくさんの方に ご足労頂きまして ご来店して頂き 誠にありがとうございます!

今後も 皆様にお会いできますこと 楽しみにいたしております。

 

 

本日は お彼岸の中日 についてご説明いたします。

 

●「中日」とは迷いと悟りの接する日です。

「春分の日」と「秋分の日」には、太陽は真東から真西に沈みます。そして昼と夜の長さが同じになります。

迷いと悟り、この世とあの世、現実の世界と理想の世界の接する日でもあります。

そこでこの中日には浄土に生まれた先祖を偲び、今日ある自分を育ててくれたご先祖様に感謝し、自らの彼岸に到達できりょうに精進することがすすめられている日です。

また、それこそが故人への最大の供養といえましょう。

☆お彼岸について☆ ~お彼岸の時期~

今年は大型で遅い台風ばかりですね。

 

 

本日は お彼岸の時期 についてご説明いたします。

 

●お彼岸は春と秋に行います

「暑さ寒さも彼岸まで」といって、一年の中でもっともよい季節にお彼岸があります。

お彼岸は春と秋の二回あり、春の彼岸は3月20日(春分の日)、秋は9月23日(秋分の日)を中心に、それぞれ前後3日の7日間行われます。また、春分の日、秋分の日を彼岸の中日と呼びます。

ご家族そろってご先祖様への感謝をささげましょう。

☆お彼岸について☆ ~お彼岸の由来~

本日から9月ですね(^^)

お彼岸入りは9月20日ですが

あっという間に 日が過ぎてしまい気がつけばもうお彼岸・・・(*_*;  ということにならないように

今から準備を心がけておきましょう!

 

本日は お彼岸の由来 について ご説明いたします。

 

●「彼岸」の由来はインドの古語

インドの古い言葉「パーラミター(波羅密多)」の漢訳で「到彼岸」の略であるといわれています。

つまり、生死流転のこの世界(此岸)から、涅槃の世界、理想の彼方(彼岸)にいたる、ということを意味しています。

此岸から彼岸への道を無事にたどり着くために、日頃の自分を反省し、ご先祖に感謝し、何か良いことをしようという気持ちをもつ日、それが彼岸会です。

この教えの中では、彼岸に到達するため以下の六つの「六波羅蜜」の実践をすすめています。

①「布施」・・・感謝の心で、自分の持っているものを他人に施す

②「自戒」・・・戒めを守る

③「忍辱」・・・不平不満を言わず、正しい心を持ち続ける

④「精進」・・・精進努力する

⑤「禅定」・・・常に心の平静を保つ

⑥「智慧」・・・ありのままの真実の姿を見つめ、知恵を働かせる

お彼岸にはお仏壇やお墓を美しく整え、花や水、故人の好物をお供えし、線香や灯明をあげて供養する、これらは実はこの六波羅蜜を実践することなのです。

実際は毎日実践できるとよいのですが、忙しい現代人たちにはそれが難しいので、せめて気候のよい春秋のお彼岸には実践しましょうかというのが、「お彼岸」の始まりのようです。

なお、「お彼岸」という行事は、仏教の発祥地であるインドにも、中国にもない、日本独自の仏教修行の習慣なのです。

☆お香典返しの品物について☆

日中は すごく暑いですが 朝夕はだんだんと 涼しくなっている気がしますね(^^)

 

本日は お香典返しに選ばれる品物 についてご説明いたします。

●お茶・・・古くからの習慣で、お茶を飲みながら「故人を偲ぶ物」として多く用いられてきました。

●繊維・・・実用品としてはもちろん、仏事では仏の世界への旅立ちに白装束で旅立つという意味からさらしが利用されていました。その流れがシーツ・タオル・毛布という形で今でも香典返しに引き継がれています。

●石鹸・・・実用品として喜ばれることと、不幸を洗い流すという意味も含めて香典返しによく使われています。

●陶器・・・「土に帰る」の意味から故人の冥福を祈る物として古くから使われてきました。

●漆器・・・「不幸を塗りつぶす」の言葉にかけ、仏事のお返しに広く用いられます。

●金物・・・鉄・ステンレス・アルミ・銅などの金物は「魔除け」としても使われます。

●砂糖・・・仏の世界への旅立ちに白装束で旅立つという意味と慈愛を表現するという意味で利用され、また消耗品であることから先様へ不幸が及ぶのを消滅させるとの言い伝えがあります。

●カタログギフト・・・贈られた方が好きなものを選べ、種類も豊富なので最近ではカタログギフトが人気になっています。

 

お返しは、頂いた金額の半返しが一般的です。お花やお供え物を頂いている場合は、その分も含めます。品物が真っ赤なものを除けば、派手なものでもかまいません。故人の供養と、悲しみに沈む遺族の方々を助け、励ますという気持ちに対するお返しですので、喜んで頂ける物をお返ししたいと思う気持ちが何より故人のご供養になります。

☆お仏壇について☆ ~金仏壇~

夏休みもあと少しですね(^^)

今年もまだまだ暑い日が続きそうなので

体の調子を整えつつ 本日も がんばってまいりましょう!

 

 

本日は 金仏壇 についてご説明いたします。

 

なぜ金仏壇というのでしょうか?

杉、檜、松、などに漆を塗り金箔金粉を施すことから「金仏壇」と呼ばれています。

また、「塗仏壇」とも呼ばれます。

蒔絵、彫刻、錺金具などの日本古来の伝統工芸の技法が集約されていて、その技巧による豪華さが特徴です。

お仏壇の内部は、各宗派の本山寺院の本堂(内陣)を模しています。

 

◆金仏壇が出来るまでの工程◆

①木地木取り ②木地加工 ③木地手仕上げ ④素地 ⑤下地塗り ⑥下地砥ぎ

⑦中砥ぎ ⑧上塗り ⑨漆塗り ⑩金箔・金粉 ⑪彫刻 ⑫蒔絵 ⑬組立

☆お仏壇について☆ ~唐木仏壇~

お仏壇には、大きく分けて 唐木仏壇 と金仏壇 があります。

 

本日は 唐木仏壇 について ご説明いたします。

 

なぜ唐木仏壇というのでしょうか?

唐木仏壇に多く使われる木材は、黒檀・紫檀・けやき・桜・鉄刀木・桑・桐など。これらの木は東南アジアなどが主な産地で、「唐木」と呼ばれ、古くから、日本になじまれてきました。唐木仏壇という名前は、ここからきています。

特に、黒檀・紫檀 は、木のダイヤモンドともいわれ、1gいくら、とさえいわれる木材なのです。

最も多くつかわれているのは 黒檀 で、インド・セイロン・タイ・ボルネオ・セレベスなどの東南アジアで産するカキノキ科の常緑樹です。 材質は黒くて堅く、緻密で水に沈む ほどです。

また、紫檀 は、黒檀にならんでよく使われる南アジアに多く産出されるマメ科の木で、美しい暗紫紅色をしています。緻密で堅く、唐木の中でも、優良種のひとつです。

唐木仏壇には、他にも、花梨やパーロッサ・くるみなどの木材が使われます。

 

◆唐木仏壇が出来るまでの工程◆

①木材選定(乾燥) ②木材木取 ③木地加工 ④木地組立製品研磨 ⑤下地吹き

⑥下地研磨 ⑦上吹き ⑧組立 ⑨製品・立吹(最終仕上げ・乾燥)

店内

本店のリニューアルオープン、先日は外観の写真をアップしたので今日は店内の写真です。

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↑正面玄関から入ってすぐに大きい木のオブジェがあります!

 

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↑木のどこかに、こんなかわいらしいリスもいます(^▽^)

 ご来店の際は是非探してみてください☆

 

おすすめPOP

店内の各ところへオススメ商品の説明を添えてみました

お店でお見かけしましたら、是非読んでみて下さい!

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